根羽村

根羽村は長野県最南端にあり、根羽杉の山地として知られている、人口900人あまりの小さな村です。山だらけのこの村は「森とともに生きる」ことを掲げています。

長野県の南端
三河湾に注ぐ矢作川の源流

根羽村は「南信」と言われる長野県南部の、さらに最南端にあります。南信南部の中心地である飯田市中心部から、バスで山間部を走阿智村、平屋村と抜けて走ること、およそ一時間でたどりつきます。

すぐお隣は、愛知県の稲府町。愛知と岐阜の県境を流れ、トヨタ自動車で有名な豊田市を経由して三河湾に注ぐ「矢作川」の源流が根羽村にあるため、長野県ではありますが、古くから、愛知県の豊田市、安城市など、三河地方とのつながりが強い地域でもあります。

「根羽杉」の産地は
村民全員が森林組合員!

村の人口は、およそ900人代という小さな村ですが、森林面積が92%のこの村では、村民全員が根羽村森林組合員という「山持ち」の村でもあり、「根羽杉」という建築用材の産地として知られています。全国的に「山林の所有者と、その土地の境界がわからなくなってしまっている」ということが問題になっています。山林の持ち主がきちんとわからないために、適切な手入れをしようにも、権利侵害になるおそれがあって手が出せないのです。が、根羽村ではそういうことはありません。村全体で計画を立て、森林整備を進めています。さらに森林組合には製材、製品加工部門もあり、森林組合が提供する「根羽杉の家」の構造用部材や板材をつくるプレカット工場も併設しています。

とはいえ、全国の中山間地域と同様、高齢化と人口減少は進んでいます。917人の人口のうち、高齢化率は50%以上。そのことが招く、森林・里山の手入れ不足、農地の遊休・耕作放棄化、鳥獣被害、国土保全機能の低下と災害発生の同時多発化といった悪循環は、根羽村にもあります。僕が山地酪農をしているたかはし地区は2018年11月時点で人口20人、高齢化率は60%、年少人口はなんと0%。30代の僕がひとりで、平均年齢を下げているような状況です。

移住の若者が増えて来ている!

根羽村は、森に村の最大の価値を見出し「森と生きていく」ことを、力強く宣言しました。

山地酪農をはじめるために根羽村に来た僕自身もそうですが、この宣言に共感した若者が、少しずつ移住してくるようになっています。村の基幹産業である森林組合は元気で、根羽杉の家、おもちゃ、薪ボイラーと、伐採や製材だけでとどまらす、エンドユーザーとつながる様々な展開をしています。放牧地の開拓をいっしょに手がけてきた、森林組合の伐採班の多くのメンバーが移住者です。彼らの提案で、森林組合が伐採に使うチェーンオイルを、鉱物油から生分解性油に切り換えることが村の政策となりました。「いまだかつてない森」という村の宣言を掲載している村のWebサイトも移住の若者がつくっていますし、奥さんは都会からの若者を呼び込める素敵なゲストハウスをはじめました。

根羽村と僕の出会い

山を生かした地域づくりを真剣に考えた村は、村有林を僕に貸与してくれました。移住者が山地酪農をはじめるときに壁としてたちはだかる「放牧地の確保」という条件を整えて迎え入れてくれたことに感謝しています。その背景には、根羽村にはかつて酪農家が10人ほどいて、村に「ネバーランド」という牛乳プラントを備えた施設までつくっていたのに、高齢化、後継者不足で、そこに生乳を提供する酪農家はたった1軒になっているという危機的な状況がありました。
村でも先行きを案じていたところ、連携協定を結んでいた信州大学との縁で、大久保村長が「山地酪農」を知るところとなったのです。

信州大学がなかだちとなって根羽村で中洞牧場の牧場長の講演会が開催され、そこに僕が出席したことが、根羽村と僕の出会いとなりました。中洞牧場出身で熊本で山地酪農をはじめたものの、熊本地震で被災し、岐阜の実家に帰って来ていた僕に「根羽村で山地酪農をしてみない?」とお声をかけていただくこととなったのです。